「プロテインを文化にしたい」
坂本さんはプロテインメーカーとしてのゼロからアルプロンを立ち上げ、活躍されています。プロテイン・サプリメント事業を立ち上げようと思った経緯やきっかけを教えて下さい。
私の故郷は島根県雲南市です。雲南市の中でも限界集落と呼ばれる人口のとても少ない自然豊かな山間地域で生まれ育ちました。
母は、管理栄養士で給食センターに勤務していました。
自宅には、畑もあり野菜はほぼ自給自足でまかなえていました。
母はよく食事の時に「今日はたんぱく質が足りないから、卵焼きで補充しよう。」などと、独り言のように、ご飯の用意をしていました。
当時はニワトリを飼っていて、私も、朝産みたての卵を私も採って、洗って食卓にならべていた記憶があります。
高校を卒業すると、東京の大学に進学しました。独り暮らしで、好きなものばかり食べるようになってしまいました。特に24時間行けるコンビニは私にとってのパラダイスで、カップラーメンと弁当を頻繁に食べていました。
就職してサラリーマンになると、ストレスも高く毎晩お酒を飲み酩酊状態で満腹になりようやく眠れるという生活をしていました。
疲れやすくなり、いつのまにか、体重は高校時代から15キロ近く太っていました。
食事と運動は人を大きく変化させると、栄養の大切さを身をもって感じました。
その自分自身の経験と、もともと経営をやりたかったこともあり、26才で退社して、アルプロンを立ち上げました。
アルプロンを立ち上げた後は、様々なサプリメントを自分でも試し、良いと思えたものを販売していました。
10年ほど前に、体脂肪率30%と太りすぎた体をなんとかしようと思いパーソナルトレーニングジムに行きました。
そこで、「筋トレのあとのプロテイン」という鉄板のルーティンを教わりました。
カラダ作りに取り組む中で、現代人は、炭水化物・糖質が過剰で、タンパク質の摂取が少ないので太りやすいのだ、と聞いた時、自分の人生を振り返りはっと腹落ちしました。三ヶ月程度で、体もひきしまり、体重も6キロ以上落とす事もできました。
肉や魚と違い、手軽に摂取できるプロテインの良さを実感し、アルプロンでもプロテインを作ろう!と思い、プロテインメーカーとしての事業を始めました。
プロテイン協会の活動に賛同し、協賛するに至った経緯や思いを教えて下さい。
もともと私自身もこのような資格があれば良いと思っていました。加藤理事長や豊島理事とは面識もあり、理念に共感し、立ち上げから協賛企業として参画させて頂くことにしました。
プロテイン業界でメーカーとしてビジネスをしていて、普段感じていることや「もっとこうなったらいいのに…」ということを教えて下さい。
私は「プロテインを文化にしたい」と思っています。
タンパク質は、カラダの大部分を作る唯一無二の栄養素だと言うことを、8割以上の日本人がご存知ないと感じます。
またプロテインとは、日本語でタンパク質ですが、プロテインをステロイドなどの筋肉増強剤のように誤解されている人もよくいらっしゃいます。
アメリカでは、一般の家庭のキッチンや食卓にプロテインパウダーもあるのが珍しくないほど、老若男女にプロテインが定着しています。
日本もプロテインをもっとたくさん摂取して、元気で長生きできる文化になればいいと思っています。
これからプロテイン協会に期待すること/活動を通して実現したいことを教えて下さい。
家電メーカーでも、ITや自動車、飲料メーカーでも同業者の組合はあると思います。
日本プロテイン協会さんが、業界の発展や成長のために有益な存在となることを願っています。